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世界王者会 vs マスボク王者 5vs5をおえて(矢代義光委員長 寄稿)
世界王者vs日本マスボクシング王者の5対5対抗戦
12月4日読了時間: 2分


第5回マスボクシング選手権をおえて(矢代義光マス強化委員長より御礼)
第 5 回全日本マスボクシング選手権大会にご参加いただいた選手の皆様、指導者の皆様、並びに大会運営に携わってくださった関係者の皆様、誠にありがとうございました。 今大会は、選手の技術、運動量、競技マナーのすべてにおいて大きな向上が見られ、マスボクシングが「競技」として着実に成長していることを改めて実感する大会となりました。 今年度のマスボクシング登録者数は 747 名(前年比 128 名増) となり、競技人口の広がりと、この選手権を目指すマスボクサーが増えていることを感じられる一年となりました。 また、選手権大会の参加者も 61 名増 と、全国的に挑戦する方が増えていることを嬉しく思います。 そして、大会全体を通して 大きな怪我が一つもなかったこと が、何より重要な成果でした。 安全を第一にした意識を持って取り組んでくださった選手の皆様、そして適切な判断で試合をコントロールしてくださった審判部の皆様に、深く感謝申し上げます。 また、今大会の開催にあたり、何ヶ月も前から準備を進めてくださった 岐阜県ボクシング連盟の皆様、東海ブロ
12月1日読了時間: 2分


第69回東京神奈川戦(第1回マス部門)(神奈川・太田監督レポート)
先日行われた 第69回東京神奈川定期戦 では、69年の歴史の中で 初めて「マスボクシング部門」 が実施されました。 高校生から70代まで幅広い選手が参加し、東京・神奈川の両チームが 同じ12階級 で対戦。 結果は 神奈川チームが 7対5 で勝利 することが出来ました。 試合前から両チームが円陣を組み、気迫に満ちた雰囲気の中で幕を開けた今回の対抗戦は、まさにシーソーゲームの展開となりました。 選手たちは本当に日頃の練習の成果を発揮していて、一進一退の攻防のたびに「みんな、しっかり練習してきたんだな」と感じさせられる場面ばかりでした。 特に、5年前に公式戦として始まった全日本マスボクシング大会の頃と比べると、全体の技術レベルは間違いなく一段も二段も上がっています。マスボクシングという競技そのものの成長を強く感じる大会でした。 また、成長した技術以上に、仲間を支え合いながらチームとして勝利を目指す姿がとても印象的でした。 選手同士が声を掛け合い、励まし合い、勝っても負けても胸を張れる戦いばかりで見ているこちらも嬉しくなる瞬間が多かったです。...
11月27日読了時間: 2分


第5回全日本マスボクシング選手権 in 岐阜【写真(善理俊哉氏)】
第5回マスボクシング選手権の写真です!
11月14日読了時間: 1分


矢代義光委員長インタビュー「感謝で人を育み人生を支えるボクシングを創りたい」
■矢代委員長のボクシングとの出会いを教えてください。 私のボクシング人生の始まりは兄です。 兄は正義感が強いのですが体が小さく、いじめられてる子を助けようとしてケンカになって負けしまうのが嫌でボクシングを始めたみたいです。 私もその影響で町のジムでボクシングを習いました。 当時やはり子供がボクシングをやるのは珍しく、ジムでは楽しさを伝えてもらいました。 この時、ガッツリ厳しくされていたら、ここまでボクシングは続かなかったと思います。 やはり楽しいという原点が大事ですね。 そうして中学2年のころ、父に決断を迫られます。 勉強ができないから高校進学が難しい。 塾を増やすか、ボクシングをまじめにやるか。 そこでボクシングを選んだのです。 高校時代は170㎝以上ある私が48キロ級でやるための減量が本当につらかったですね。 自分が大学1年のとき、プロボクサーになっていた兄が、試合で開頭手術を繰り返すほどの死に直面する大けがを負ってしまいます。 一命はとりとめたものの、そこからが大変でした。 脳を冷凍する処置をほどこしたせいか、言葉が出てこない。冷蔵庫とい
10月27日読了時間: 11分


井崎洋志副会長インタビュー「いつか自身もマスボクシング金メダルを目指したい」
■井崎副会長のこれまでのボクシング人生を教えてください。 僕は学生時代から40年間ボクシングに携わり、今もマスボクシングの金メダル目指してトレーニングしています。これほど僕の人生に深く根ざしたボクシングなんですが、実は自分の意志でやり始めたわけじゃないんです。 僕の家は祖父も父もラガーマンというラグビー家でして、僕の高校時代にラグビーをやっていました。 祖父は日本代表候補で立教大学の監督も務め、 大学選手権優勝してます。 父も高校時代花園予選の決勝までいっている。 それで僕も高校時代はラグビーでがんばりました。僕は身体が小さく体重が60キロしかない。それでも父と同じフォワードでやってレギュラーには入りましたが、最後の花園予選では出られずでした。 それでも当時、祖父や父のこともあり、大学ラグビ-では井崎という名前は知られていましたし同じ立教ですからね、当然僕もラグビー部入り、という空気があったんです。 ただ、何となく自信がなくて、5月になったら入ろう、それまでは学生生活を楽しもうかな、と思ったんです。とはいえサークルとかには興味がなかったので、高校
10月26日読了時間: 12分


仲間達也会長インタビュー「生涯スポーツとしてのボクシング」
■ボクシングを始めたきっかけを教えてください。 中学生の時に理髪店で「はじめの一歩」を読んでボクシングを好きになりました。 ちょうど主人公の一歩君が、勇利アルバチャコフ選手がモデルと言われるヴオルフ・ザンギエフ選手と試合をしていた頃です。漫画を通して現実の試合や選手にも興味を持つようになりました。 中学2年生になって、ボクシングをやりたい、と両親に相談してジムに通い始めました。最初は縄跳びやシャドーボクシングだけでもヘロヘロでした。それがとても楽しくて、毎日ジムに通うようになり、試合に出てみたいと思うようになりました。 当時私は、中学受験後に私立の中高一貫の進学校に通う、どちらかというとスポーツよりは勉強を頑張ってきた生徒でした。 そのため両親は、ボクシングなんか長く続かないだろうと考えていた様です。それが深みにはまり、『試合をやりたい』ですから、どれだけ心配したかは想像に難くありません。しかしながら、最終的に、両親は試合への出場を許可してくれました。 競技引退後だいぶ経ってから、ふと、なぜ試合に出ることを許可してくれたのかと父に尋ねました。..
10月26日読了時間: 8分
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