井崎洋志副会長インタビュー「いつか自身もマスボクシング金メダルを目指したい」
- Nagai
- 10月26日
- 読了時間: 12分
更新日:10月27日

■井崎副会長のこれまでのボクシング人生を教えてください。
僕は学生時代から40年間ボクシングに携わり、今もマスボクシングの金メダル目指してトレーニングしています。これほど僕の人生に深く根ざしたボクシングなんですが、実は自分の意志でやり始めたわけじゃないんです。
僕の家は祖父も父もラガーマンというラグビー家でして、僕の高校時代にラグビーをやっていました。
祖父は日本代表候補で立教大学の監督も務め、 大学選手権優勝してます。
父も高校時代花園予選の決勝までいっている。
それで僕も高校時代はラグビーでがんばりました。僕は身体が小さく体重が60キロしかない。それでも父と同じフォワードでやってレギュラーには入りましたが、最後の花園予選では出られずでした。
それでも当時、祖父や父のこともあり、大学ラグビ-では井崎という名前は知られていましたし同じ立教ですからね、当然僕もラグビー部入り、という空気があったんです。
ただ、何となく自信がなくて、5月になったら入ろう、それまでは学生生活を楽しもうかな、と思ったんです。とはいえサークルとかには興味がなかったので、高校のときにない運動部を見てみました。それがアイスホッケーとボクシング部だったんです。
どちらのクラブからも非常に歓迎されまして。僕もちょっと嬉しくなっちゃって、本当に入る気もないのに、両方の部に「入ります」みないな事を言っちゃたんです。
そしたら両部の部長が大親友で…。
今でも覚えているんですが、立教大学名物の蔦の絡まるチャペルという建物が校門から入るとありまして、ある日、僕が歩いていくとそこにその2人の部長がいるわけです。
「どういうことだ!」ということになりまして、やや書けないような経緯になって…。
最終的にはボクシング部の部長に「うちに入れば(向こうからは)守ってやる」と言われ、ボクシング部に入部することになりました。
だから最初は、ラグビーのジャージ着てボクシングのシャドウとかやっていましたし、ラグビー部の監督からは毎晩電話かかってくるし、最初は練習がつまらないし…でしたね。
でも入ってしまったからなと思い、自分で考えるトレーニングしていると夏までに1年の中では経験者以上になれて、楽しくなって、今に続いているわけです。
僕は小中高とそれぞれ違うスポーツをやっていたんです。これは実はうまくいかなかったということだと考えていました。このボクシングでダメならもう後がない、と思いましたし、自分で考えた練習で成果が出たこともあって、ここから「俺にはボクシングしかない」とのめり込みましたね。
1年生の終わりぐらいには、とにかく全日本戦ランキングに入るまで頑張ろうと思っていました。
僕の2学年上に大学でボクシングを始めて全日本選手権に出た方がいてこの日これぐらい練習すれば全日本へ行けるんだ、というロールモデルも持つことができたのも幸いでした。
なぜか僕の周りに2年生のときには専修大学の、3年生のときは東洋大学の、4年生のときは法政大学のOBの方たちが、毎日練習を見てくれたんです。 縁もゆかりもない他校のOBの方が熱心に指導して僕を強くしてくれたっていう思いがすごくありますね。
日本ボクシング連盟の仕事はその恩返し、という心持ちでやっています。
そういった恩のつながり、連鎖というか、僕は、できるだけ多くの人に関わっていきたいと思っています。
大会では、僕は参加の皆さんによくお声がけをさせていただいています。
やっぱり自分が大会に出たときに、審判の方たちに、「君は立教か、頑張ってるな」とか声を変えられると嬉しかった。
だから今「いい試合でしたね」とか「残念でしたね」とか感想でもいいから、できるだけ多くの選手に声をかけるようにはしてます。
それが皆さんの少しでも励みになってくれればいいなと思っています。
■その中で副会長はどんなボクシング観を育まれたのでしょうか?
僕は大学時代からボクシングを始め、全日本選手権までいきましたが、あと一歩オリンピックにはたどり着けませんでした。
社会人になってからずっと週末は母校などで指導にあたってきました。
その間ずっと変わらないのは「考えるボクシング」を目指してきたということです。
この考え方、信念に持つに至った経緯があります。
大学でボクシングをスタートした時、実は、先輩やコーチの指導が僕には腑に落ちなかったんです。ステップだけ1ヵ月やりなさい、とか、こんな体勢で打っても力が入らないなあ、とか、未経験者ながらも指導への疑問が多かった。
テレビで見たボクサーの動きをやってみたいと思いましたが、やはり周囲はほとんど経験者で、なかなか自分の思う通りには体が動かない。悔しくて、人にそんな自分の姿を見せるのも恥ずかしくて、部活の他に1人で練習していたんです。
すると、練習がだんだん楽しくなってきて、楽しくなるとやっぱり量も増えるし、質も上がるんです。それで1年生の夏が終わった頃には、同学年では頭一つ出て、学年の終わりには全日本という明確な目標を持つことができるまでになりました。
入部したときに、頭ごなしにこうしなさい、と言われても、なんでこんな動きしなきゃいけないんだろうっていう疑問を持ったことが、僕の原点です。
だから僕は、今も学生たちから日本代表の選手にも言うのは「考えろ、頭を使え」なんです。岡沢セオン選手や原田周大選手は、やっぱり考えていますよ。考えるからオリンピックにいけるんだと思います。
皆それぞれ骨格も筋力も運動能力も違うので、ある動きが最適とは限りません。論理的に考えて、自分に合うボクシングってどうなんだろうとか、どうやったら最短でパンチが当たるんだとかっていうことを考え続けると 、独特なものにはなるんですけど理にかなったことになっていくんです。「考えるボクシング」には終わりがなくて、成長の楽しみがあるので、ぜひおススメします!
■井崎副会長の印象に残っているボクシングの思い出を教えてください。
大学生の4年間の競技生活はいろんな学びの多い試合が多くて恵まれていたと思います。
その中で印象に残っている試合がいくつかあります。
一つは、全日本選手権の最後の試合です。47都道府県制インターハイ方式の最後の年でした。
所属しているフライ級は選手数も多く、個人戦は4戦という連戦。僕は最終的に準決勝で第1シードの自衛隊の選手に負けてしまいます。
当時のグローブはウィニングの8オンスで試合ではバタバタ倒れていた。
そこで僕は「倒されない」という戦略でやっていた。最終的に敗れたときも倒れはしませんでした。しかし、負けた。
結局、気持ちの前提が違っていたんです。勝つ気持ちがなければ勝てないんだ、ということを思い知りました。
一方、団体戦でも学びがありました。
選手層も問題でフェザー級で戦ったんです。
その時の対戦相手は、のちにプロになった選手で、多分10回やったら1回勝てるかなぐらいなレベルの選手だったんです。
でも「その1回を最初に持ってくればいいんだ」と考えました。
3ラウンドしかないので 1回ペース取ってしまえば、そう簡単には取り返せないだろうという作戦で勝てました。
フライ級より2階級重く、そして強い選手がいるフェザーで、戦略で勝つ、という体験は僕にとってはすごく勉強になりました。
相手がどうってどういう選手だからどう戦っていくかっていう戦略は絶対に必要です。
自分のボクシングはこれですだからこの選手には勝てませんっていうのは、僕の中ではないんですね。
オリンピックのボクシングもでトーナメントで相手は選べない。
サウスポーもいればファイターもいる、アウトボクサーもいる。
いろんな選手がいるので苦手とか言ってられないと思うんですよねだからこの選手にこうやって戦うこの選手はこうやって戦うっていうところの勝ちパターンを全部僕は作って やっていました。
■ボクシングは生活の中でも活きていますか?
大学から競技を始めて日本ベスト4まで来ました。
自分としてはこの4年間で選手としてピークだとは思えなかったので、ボクシングを続けたかったんです。
プロではなく、オリンピックを目指したかった。それで自衛隊に入ろうと考えました。
ただ親の猛反対にあいまして...
よく考えると、入隊してオリンピックにいけなかったら戦車に乗る、というのも自信がなくなってきて、やはり企業への就職も考えたんです。それが現職の広告代理店です。
広告代理店というのは、クライアントの商品やサービスをどう戦略的に売っていくのかを考えるマーケティングが基本です。
この仕事に、大学時代の「考えるボクシング」への取り組み方がものすごく生きることになりました。
入社するとクリエイティブ、制作に配属され、当時は夜遅くまで働くのが当たり前の時代でした。月曜から金曜までは仕方ないとして、週末は母校のコーチに行っていました。
■多忙な社会人になっても母校の指導に行っていたのですか?
大学4年生の時、下級生に厳しく指導していたので、どこかでみんなを最後まで面倒見なきゃ、と思っていたんですね。
最初は今の1年生が卒業するまで、と思っていたんですが、毎年新入生が入ってきて、彼らにも指導していると情が移るわけです。やめられないまコーチを続けたんですが、指導そのものも非常に面白くなっていたんです。
"どうやったら勝たせてあげられるのか"
そのためにどれだけの、どんな練習をしなければならないのか。
それで選手が変わり、成果を出していくのを見る。
結果が出なかったときはなぜ、どうしてそうなったのか、どうすべきだったかを考える。
どんどんボクシングの思考の幅が広く深くなっていく。
そうやって現在にいたっているわけですが、後に続く人たちに伝えたいのは、やはり「考えること」の重要性なんですね。
人生はボクシングで終わるわけでなく、さまざまな面があり、ずっと続いていく。
自分自身で「考える」ことができれば人生を切り開いていくことができますから。
■そうした経験中で、今マスボクシングにどんな思いを込めているでしょうか?
人と人とのつながりが広がっていくのがボクシングの素晴らしい所だと思います。
ある時、中央林間の太田会長のジム出身でしっかり指導されてインターハイにも出ている選手が、僕の指導している大学に入学したんです。太田会長から引き継いた形で、4年間土日はずっとミットを持って指導しました。
その選手が大学を卒業してから、太田会長のジムで指導してくれて、そこから毎年マスボクシングの全日本選手権に出てくれる人が生まれているんです。
僕からすると孫弟子みたいな感じですし、その方も私をそんな風に意識してくださっている。
従来、学生スポーツで出身校や先輩後輩関係が主流でしたが、マスボクシングは社会のいろんな人との関係を作っていける。
こうした人と人のつながり、系譜のようなものが生まれるのはマスボクシングの良さだと思っています。
子供さんや、会社つとめや主婦の方、リタイアされた方とかいろんな方たちと接することができるっていうのもボクシング界にとってもよい事だと思います。
これからの多様性の時代、こうした広がりを持つマスボクシングはパラスポーツとしての可能性も大いに秘めていると思います。
ボクシングではパラ競技はなかなか困難な面があると思います。
しかしマスボクシングなら、オリンピック競技になることも夢ではないと思います。
マスボクシングを一つのスポーツとしてしっかりと確立していけば、障がいを持つ方々にも普及できると思ってます。
現状今の全日本でも弱視の選手も参加されています。
また、トランスジェンダーの問題が、前回のオリンピックでもクローズアップされましたが、そうしたこともマスボクシングなら乗り越えられると思います。
多様性の時代にまさにマッチしたスポーツであるマスボクシングですが、まずは競技に参加できる機会をもっと作って、皆さんに知って体験してもらうという、足元、一歩目から頑張りたいと思います。
やっぱり練習を積んで「腕試し」する機会は多い方がいいですからね。
マスボクシング、という言葉は昔からありますが、こうした競技化をしたのは日本が初めてだと思います。
日本発の国際的なスポーツ、競技に発展させることができます。世界中とマスボクシングでつながれる日も夢じゃないと思っています。
■競技としてのマスボクシングの魅力は?
北海道に全日本を4連覇している大学生がいるんですが、彼はマスボクシングしかしたことがないんです。アマチュアボクシングの経験がなくてもものすごく強い。やはりとても頭がいいボクシングをするんです。
マスボクシングとアマチュアボクシングはまったく異なる競技だと思います。現在はアマの経験者が強い所もありますが、競技として成熟すれば、マスボクシングならマスのセンスがアマのオリンピアンにも勝てる。そんな日が来ると思っています。
多様性を受け入れるポテンシャルあるマスボクシングが競技として成熟すれば、様々なバックボーンで、それぞれの目標を持って、自信と誇りをもって、多彩なストーリーを紡ぎだされると思っています。
僕たちのミッションはその物語を応援していくことだと思っています。
■マスボクシングで勝利するには?
実は、僕の目標は、全日本マスボクシング選手権大会で金メダルを取ることなんです。
今の役職を降りたら挑戦したいと思っています。
そのために、今僕はマスボクシングの試合をものすごく頭を使って見ています。
どうやってポイントになるのか、どうやったらジャッジが上がるのか。
マスボクシングは、シャドーボクシング大会ではないので、ただ心肺機能上げてたくさん走って、鏡の前でパンチを繰り出す練習をしていればいいものではない。
やっぱり、対人の駆け引き、相手を見て、どう動き、どう外し、どうクリティカルなパンチを打つか。頭を使う、考えるボクシングが必要だと思います。
あと、気づいたのは応援の力。セカンドの応援の声で動きが良くなる選手が多いんですよ。選手の力を1.5倍くらいにする応援は確かにあるんです。
何年後になるかわからないですが、全日本の全日本マスボクシングを目指して、研究を続けて、トレーニングに励んでいます。
これからも皆さんとともに、考えるマスボクシングに取り組み続けていきます。




コメント